1956年(昭和31年)
当初部員として岡田(JA1HR)氏、小森谷氏、石井(JA1IM)君、白倉(JA0CP)君、長嶺(JA9??)君、長谷川(JA1Y??)君、金子(JA1ALB)らが無線従事者の資格を持ち、コールサインも持っていたが、大学では運用していなかった。私が部長の時、他の大学・クラブの人たちとそろそろクラブ局を作ろうと交渉して大学にもクラブ局ができるようになったので、シャックを持たない長谷川君にコールをJA1Y??を立ち上げてもらった。学園祭(当時はそう呼んだのか)でナショナルの計器類を展示すると共に、私の807シングルのシャックを自宅より運んだシャックで無線局を公開。